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宮崎家庭裁判所日南支部 昭和44年(家)53号 審判

申立人 大谷イト(仮名)

相手方 大谷昇(仮名) 外一名

参加人 茂山育子(仮名) 外五名

主文

相手方両名は申立人に対し金七万五、〇〇〇円を支払え。

相手方両名は申立人に対し昭和四五年四月以降一ヵ月金三、〇〇〇円宛を毎月一日限り支払え。

理由

(申立人の主張)

申立人は、「相手方等は連帯して申立人に対し扶養料として一ヵ月金八、〇〇〇円宛を支払え。」との審判を求め、その申立の原因として次のとおり述べた。

一  相手方大谷ヤスは申立人と亡夫大谷七郎間の長女であり、相手方大谷昇は申立人等夫婦の養子であり相手方ヤスの夫である。

二  右亡夫七郎生存中に相手方等に対しその所有する殆んどの不動産を贈与し、その代わり相手方等は申立人等夫婦の生涯の面倒をみることを約束した。

三  しかるに、右七郎死亡後は、相手方等は右約束を励行せず、相手方等住居屋敷内の隠居家屋において独り生活する申立人に対し生活必需品すら満足に支給しなくなつた。

四  そこで、申立人は相手方等を相手どり当庁に扶養料調停の申立をし、その結果昭和四二年三月九日調停が成立して、「双方円満な親子関係を維持し相手方等は申立人の生活に必要な一切の費用を負担する」旨合意したにもかかわらず、相手方等はこれまた履行しないばかりか、前記亡夫の遺産たる部分林持分権についても無断で相続を原因とする移転登録をする始末なので、当庁に右部分林持分権移転登録手続無効確認の調停申立をし、昭和四三年六月一四日伐採時に支給される配当金の一〇分の四を申立人に支払うことで右移転登録を追認する旨を調停合意した次第である。これも相手方等の誠意を期待し申立人において必要以上に譲歩したものなのである。

五  しかるに、相手方等は申立人に対し扶養する誠意を全然示さないのである。相手方等は現在田八反歩、畑四反歩、ミカン畑五反歩位を所有し、米、タバコ、ミカンを栽培して年間金一〇〇万円を超える収益をあげているものであり、申立人を扶養する能力は十分有しているものである。

六  したがつて、申立人は相手方等に対し毎月生活費として金六、〇〇〇円、高血圧症の治療費として金二、〇〇〇円合計金八、〇〇〇円の支給を前記扶養調停の履行として請求するものである。したがつて、他の子に扶養を求める意思はない。

(相手方の主張)

申立人が現在の居住関係を他に移すことを条件に田二反歩と月額金五、〇〇〇円の生活費を支給する。その際申立人が現に居住している隠居家屋は贈与してもよい。申立人に移住を求めるのは相手方等の子の教育上好ましくないからである。なお、申立人は宮崎銀行に相当額の預金を有するものと推測されるし、さらに申立人主張の部分林持分による配当金中一〇分の四を取得する旨の調停により申立人主張の扶養調停条項は解決済みと考えるし、また右配当金による取得分として申立人には近く金一四万円ないし金一六万円の収入がある見込みであるから、申立人は扶養を要する状態でないと考える。

(裁判所の判断)

申立人の審問結果および当庁昭和四三年(家イ)第二九号事件記録によると、大谷七郎と申立人(明治三六年八月二五日生)は大正一一年四月二九日婚姻し、その間に三男七女が出生したが、男子はいずれも早く死亡し、現在は相手方ヤスおよび参加人六名の七女のみが生存しかついずれも婚姻していること、相手方昇と申立人等夫婦は昭和二三年七月九日養子縁組し、同日申立人等夫婦の長女である相手方ヤスと婚姻したこと、大谷七郎は昭和三八年一月六日死亡したことがそれぞれ認められ、申立人の子たる扶養義務者は相手方両名および参加人六名であることが認められる。

しかして、当庁昭和四一年(家イ)第五〇号、五一号事件記録および右事件にかかる調停調書謄本によると、昭和四二年三月九日申立人と相手方両名の間で左記のとおりの調停が成立したことが認められる。

一  相手方等は申立人の生存中その生活に必要な一切の費用を負担し円満な親子関係を維持すること。

二  相手方等は申立人および参加人大谷ひろ子、同大谷京子に対し、申立人の生存中および右参加人両名が婚姻するまでの期間、一人あたり一ヵ月白米一斗宛を贈与する。

三  相手方等は申立人に対し申立人が病気治療のため宮崎県立○○病院その他の医療機関で治療を受けるために要する一切の費用(交通費を含む)を支払うこと。

四  相手方昇は申立人に対しその生存中日南市大字○○○字○○○○○△△、△△△番地畑六畝一七歩を昭和四二年八月末日限り引渡して無償で耕作させること(なお本年度に西爪その他の農作物を耕作するため右引渡期まで代替地を提供すること)。

五  相手方昇は参加人大谷ひろ子に対し同市同大字○○○△△△番地の○宅地六九坪三合五勺を贈与することとし、昭和四二年三月一五日限りその所有権移転登記手続をすること。右登記手続に要する費用は参加人大谷ひろ子の負担とする。

しかるに、相手方等は右調停条項第一項および第三項を全然履行しないとして、申立人は、相手方等に対し一ヵ月合計金八、〇〇〇円の生活費および医療費の支給を求めるのに対し、相手方等は申立人の要扶養状態を争いかつ申立人主張の前記部分林持分に関する調停により右扶養調停条項は解決済みであると主張するので、まず後者の点から判断するに、当庁昭和四三年(家イ)第二九号事件記録および右事件にかかる調停調書謄本によると、申立人および参加人江島ひろ子、同大谷京子より相手方昇に対し、日南市大字○○○字○○○○国有林部分林登録番号第○○、○○○号についての被相続人大谷七郎名義の持株一株に関して同相手方が無断で相続を原因とする自己への移転登録をしたので、その移転登録が無効であることを確認する旨の調停申立がなされ、その結果昭和四三年六月一四日左記のとおり調停が成立したこと、

一  当事者双方は右部分林持株につき昭和四一年一二月七日被相続人大谷七郎から相手方昇へ相続を原因としてなした移転登録手続が有効であることを確認する。

二  相手方昇は申立人に対し同人の生存中前項の山林が伐採処分され配当金を得たときは、その都度直ちに取得金の一〇分の四に相当する金員を日南市農業協同組合○○支所の申立人の口座に振込み支払うこと。

部分林の管理に要する費用は申立人と同相手方とが切半して負担すること。

右調停条項は前記扶養調停条項第一項、第三項とは区別して合意されたものであり、その事情は被相続人大谷七郎より相手方等はその財産のほとんど全部を生前贈与されていて、本件部分林持株が価値のある唯一のものといえる相続財産であつたのを、共同相続人とくに申立人の了解なしに、むしろその配当金の取得をめぐるはげしい対立の過程において、相手方等が相手方昇名義に相続を原因とする登録がえをしたこと、そして申立人の大谷家維持発展に対する永年の功績を考慮し、右配当金の一〇分の四を申立人が取得することにして右登録がえを追認することになつたこと、がそれぞれ認められるのである。右調停の結果申立人が右配当金一〇分の四を取得し得ることによりそれだけ資力ができ要扶養状態が軽減することは当然であるが、相手方両名の審問結果によつても昭和四四年度中に右部分林持株一株に配当される金額は金一五万円と推測され、申立人の手に入る金額はそのうちの一〇分の四すなわち金六万円にすぎないのであるから、他に資産がないかぎり、申立人は右金額をもつて生活費に足りるものということはとうていできない。したがつて、右部分林持株に関する調停により申立人の前記扶養調停条項第一項第三項は解決済みとする相手方等の主張は採用できない。

そこで、申立人の要扶養状態の有無であるが、○○銀行○○支店長作成の回答書および申立人、参加人茂山育子、相手方両名の各審問結果によると、申立人は現在六六歳の老齢の上に高血圧症に罹患しており、過去約一年間宮崎県立○○病院に入院したこともあること、資産としては前記部分林持株による配当金の一〇分の四の収入が見込まれるほかは、相手方等主張の銀行預金も○○銀行に金二九円の残額を残すのみで他にはないこと、申立人は生来働き手であることもあり前記扶養調停条項第四項によつて相手方昇より無償貸与を受けている畑六畝一七歩と参加人茂山育子所有の畑二畝を耕作し、大根その他得意とする農作物をつくつて年金二万円程度の収入をあげ、かつ右部分林持株の配当が年に一度でしかも時期不定のところから右配当のあるまでの間の中つぎとして知人等より借金して、その生活費をまかなつていること、住居関係は亡夫大谷七郎と婚姻以来居住してきた現在は相手方等のものになつている屋敷内の隠居家屋(六畳一間に炊事場つき)に独り居住していること、そうした生活状況のもとに申立人は医療費として月額金二、〇〇〇円位、最低生活費として月額金八、〇〇〇円の費用を要することが認められる。そうすると、右必要生活費のうち右申立人固有の収入によつてまかなえる範囲は年間約八万円であるから、差引年間約四万円が他から援助を要する金額といわなければならない。なお申立人は右のとおり老齢かつ病身であるから近い将来働くことができなくなることが予測されるものの、目下のところは前記農耕をなし得る状態にあるのであるから、現在の扶養料形成にあたつては右生活状態を前提にせざるを得ない。したがつて、申立人は扶養義務者から年間約四万円位の生活費援助を必要とする状態にあるものといわなければならない。これを月額にすると、申立人固有の収入の流動性を考慮し月額金三、〇〇〇円の支給を要するものと認める。

しかして、申立人には扶養義務者としてそれぞれ婚姻して独立した相手方両名および参加人六名の八人の子があるところ、申立人は前記扶養調停条項により相手方両名にのみ扶養を求め、他の子には扶養を求める意思がないと主張し、その理由として亡夫大谷七郎が生前同人および申立人の生涯の面倒をみることを条件にしてその財産のほとんど全部を相手方両名に贈与した事情を強調するのである。

そもそも具体的な扶養義務というものは扶養権利者の要扶養状態とすべての扶養義務者の扶養能力との関連において相対的にきまるものであり、扶養権利者の自由な選択によつてその義務者がきまるものではない。しかし、扶養義務者のうちの一人と扶養権利者との間だけで特別な理由があつて具体的扶養義務を協議決定することはできる。ただその協議の効力は当該扶養義務者についてのみ生じ、他の扶養義務者に及ばないだけである。

しかるに、本件の場合は、扶養権利者たる申立人と扶養義務者の一部である相手方両名との間で前記認定どおり申立人の生活に必要な費用は一切相手方両名で負担する旨調停合意しているものである。かかる調停合意をした特別の事情については、申立人、参加人茂山育子、相手方両名の各審問結果によると、相手方昇は女子ばかりの大谷家の後継者として長女である相手方ヤスのいわゆる婿養子に迎えられたものであり、そのため被相続人大谷七郎の生存中に、その財産のほとんど全部、すなわち田三反五畝を相手方ヤスに、田五反、畑一町二反一畝、本宅建物および厩舎等約五〇坪、宅地一七八坪等を相手方昇にそれぞれ贈与し、その代わり相手方両名は右七郎および申立人の老後の面倒をみることを暗黙のうちに了解し合つたこと、そして相手方等は右贈与された農地を基礎にして農業を営み、申立人は右七郎が生前他女と関係して約一〇年間家を出るという状態の中でよく農業を営み七人の子女を養育して右財産を保持してきたり今は相手方昇所有名義となつた屋敷内の一隅にある隠居家屋で生活している事情にあること、が認められるのである。かかる事情を背景として協定された申立人と相手方両名間の前記扶養調停に対し参加人六名全員はそれを当然かくあるべきものと理解していることが参加人等の審問結果および参加人橋本ミエ子作成の回答書によつて認められる。

しかして、扶養権利者と扶養義務者の一部の間でなされた扶養協定が合理的な特別事情にもとづくもので、これをまた他の扶養義務者が承諾している場合は、右協定にしたがつて具体的な扶養義務関係が扶養関係者間において形成されているものとみるべく、したがつてその協定時の事情に変更がない限り、右具体的扶養義務関係は維持されるべきものと解する。本件の場合、前記扶養調停成立時と現在において申立人と相手方両名の生活状態にほとんど変更はなく、参加人江島ひろ子、同南田京子がその後婚姻した事情はあつても参加人等側の扶養能力においても右協定を変更するだけの変動を申立人の前記要扶養状態の程度と対比して認めがたいので、申立人が前記扶養調停にもとづき相手方両名に扶養料請求をしているのは結局相当といわなければならない。

しかして、前記扶養調停条項第一項第三項は抽象的に「申立人の生活あるいは医療に必要な一切の費用を負担する」として、具体的にその金額が定められていないので、その具体的内容の形成をなすべき必要と実益があるところ、相手方両名、申立人、参加人茂山育子の各審問結果によると、相手方両名は前記贈与を受けた農地を保有して二男治郎(当二〇年)とともに農業を経営し、煙草、米、みかん、きゆうり、唐いも等を栽培して年間約一三〇万円位の収入をあげていること、そして現在養育を要するのは長女マリ(当一六年、○○高校二年在学)のみであること、が認められるのであり、その資産生活状態からみると、相手方両名は前記申立人の必要とする生活費不足分一ヵ月金三、〇〇〇円を負担する余裕あるものといわなければならない。よつて、相手方両名は右扶養調停条項第一項第三項の義務内容として申立人に対し、一カ月金三、〇〇〇円の支給をなすべきものとする。

そうすると、申立人は、相手方両名より生活扶助として右一ヵ月金三、〇〇〇円の支給を受ける外に前記扶養調停条項第二項による一ヵ月白来一斗の支給を受けることになる。ところで右金三、〇〇〇円の支給義務は本件申立時ではなく右扶養調停成立時に遡及して形成するを相当とすべく、したがつて、相手方両名は右調停成立時たる昭和四二年三月より昭和四五年三月まで二五月分一ヵ月金三、〇〇〇円宛合計金七万五、〇〇〇円を即時に、昭和四五年四月以降一ヵ月金三、〇〇〇円を毎月一日限り支払うべき義務あるものといわなければならない。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡瀬勲)

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